懐かしき海 7(第一章 6)

6.
 機体が浮き上がると、少し胃が縮こまる感じがして、空気の塊が喉もとに栓をした。浅く息をしてやり過ごしながら隣りの席の永美を見遣ると、険しい表情で自分と全く同じに胸に手を当て口を半開きにしているので可笑しくなった。
生まれて初めて間近で見た航空機は、想像していたよりもずっとちゃちな造りに見えて、こんなものが本当に空の高みまで飛ぶのだろうかと香澄は不安だった。モニターに映る映像でしか外の様子を確認できないので、機体が安定して皆がお喋りを再開しても、アトラクションの中にいるようで現実感がなかった。「耳がキーンとするねえ」と永美が鼻の上に皺を作った。「ほんとだね」と香澄は返して、何度も唾を呑み込んだ。「今高さ何メートルかな」
 そう訊かれても見当もつかないが、永美も正確な数値を知りたいわけではなく、ただ漫然と会話を転がす糸口にしたいだけなのは分かっていた。通路の向こうには、なぜか救命具の説明書きを熟読している阿川の横顔が見えた。嫌な位置関係だった。永美は到着するまでの間、十度は同じ質問をして、香澄はそのたび「さあどうだろ」と答えた。
 空を飛んだ実感など湧かないまま再び重力が内臓にかかって、モニターが白線の引かれた滑走路が接近してくるのを映し出すと、歓声が上がった。心臓がどくどく速く打ち始めた。地上に降りるまでシートベルトは外さないように、と改めての注意が飛んだ。永美は何が面白いのかげらげら笑っていた。機体が着地に成功した気配がした。
 空港の風景は出発したときと似たようなものだったが、確かに違う土地であることは分かった。空は薄曇りであまり沖縄らしくはないものの、外の空気は秋口とは思えないくらいの暖かさだった。
クラスごと押し込められたバスの狭苦しい座席で、香澄は外の風景をもっとよく見ようと、ずっと体を捻じ曲げていた。
 最初の昼食を済ませると、ひと息つく間もなく観光コースに送り出された。長時間の窮屈な姿勢から解放されたばかりだったせいか、首里城公園の異国風の景観に、皆必要以上に張り切っていた。班ごとに分かれてのほぼ自由行動で、いつもの面子、永美と佳絵と、他に女子二人、男子四人。幸い、阿川は別だった。ところどころで立ち止まりながら、幾つかの門を潜り、宮城を前にしてテレビで見た記憶と照らし合わせた。
空の色が映り込んだのか、映像では目に痛いほどだった朱は少しくすんで見えた。香澄たちの班は、次から次へと進んでいったせいで、予定よりずっと早く集合場所に帰り着いて、暇を持て余す破目になった。そこからまたバスに揺られて移動して、今度は資料館で戦争の話を聞いた。
 班単位の移動だったおかげで、香澄は一日中気まずさとは無縁の安全地帯にいることができた。割り当てられたホテルの部屋で大騒ぎしながら寝支度をし、消灯時間を過ぎてからも寝転がりながらぼそぼそ話をしていた。
ときどき会話の波長が共振して増幅し、発作のような大声になっては、またすうっと鎮まる。何度かそういうことを繰り返し、誰かが「明日も楽しみ」と眠そうな声で呟いたとき、ようやくやるべきことを全てやり終えたような気分になって、壁の白が目蓋の裏に残った昼間のくすんだ外光と混じり合い、ぐちゃぐちゃに煮込まれ、その中に香澄は背中から身を投げた。

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